同調圧力に流されず、自分の感覚で生きる。情報過多の時代を健やかに生き抜くヒント

夜のビル群にデジタル情報が飛び交う光が広がる風景。情報過多の時代を象徴するイメージ。 暮らしと自由の体験談

こんにちは!つむぎです。

前回の記事では、「ネオ終活」というテーマで、“生き方の整理”としての終活についてお話しました。

普段の生活の中で「死」を意識することはそう多くありませんが、近年でいえば、多くの人が死や命について考えざるを得なかった時期がありました。――そう、コロナ禍です。

あの頃、テレビをつければ毎日のように流れていたのは、感染者数の速報と「過去最多」という言葉。

その数字が何を意味するのか、どんな背景があるのか――そんな説明はほとんどなく、ただ「怖い」「不安」という感情だけが増幅されていきました。

きっとあなたもメディアの情報に振り回され、疲弊されていたのではないでしょうか。

ただ、ミニマルライフを送っていた私は、こういった状況を、一歩引いて俯瞰できていたように思います。

今日は、そんなミニマルライフにおける「“情報との距離のとり方”」についてお話ししたいと思います。

このブログがあなたの人生をより豊かにするきっかけになれば幸いです。

 “命を守る”はずが、心がすり減っていった

私は、当時の日本社会全体が「冷静さを失っていた」と感じています。感染そのものよりも怖かったのは、「恐怖の空気」そのものでした。

マスクをしていないだけで白い目で見られる、外出を控えない人を非難する――そんな同調圧力が社会全体を覆いました。

ニュースでは毎日のように感染者数が報じられ、街から人が消え、会いたい人に会えない日々。

そして、時間が経つにつれ見えてきたのは、コロナの直接的な被害よりも、経済的・精神的な理由で亡くなる人の方が多かったという現実です。

飲食店や小さな商店が次々と閉まり、人とのつながりも絶たれ、「生きる希望」を失ってしまった人が少なくありませんでした。

それはまるで、「命を守る」という名目で、別の命がすり減っていくような矛盾した社会でした。

「恐怖」に支配された社会構造

今思えば、あの時代は“恐怖”が社会を動かしていました。

メディアは数字を強調し、政府は警戒を呼びかけ、人々は互いに「正しさ」を競い合うように監視し合う。

それぞれが善意のつもりで行動していたとしても、その根底にあったのは「自分が責められたくない」「怖い思いをしたくない」という恐れでした。

恐怖は目に見えないけれど、確実に人の心をコントロールします。そして、集団の中にいると、その恐怖が連鎖していきます。

まるで空気のように社会全体に広がり、「正しさ」が「安心」と同義になっていった――そんな時代だったように思います。

けれど、これはコロナ禍だけの話ではありません。

みんながやっているから」「常識だから」という空気の中にも、同じような“見えない圧力”が常に存在しています。

「同調圧力」は日常の中にも潜んでいる

コロナ禍で感じた違和感は、実は私たちの日常にも根を張っています。

たとえば、
流行やトレンドに乗らないと“遅れている”と感じる社会
会議で自分の意見を言うより、周りに合わせた方が楽だと思ってしまう職場
SNSで誰かの成功や華やかな暮らしを見るたびに、自分も何かを手に入れなければと焦る気持ち

こうした日常の中にも、「恐怖に似た不安」は潜んでいます。

「置いていかれるのが怖い」「否定されるのが怖い」「自分だけ違うのが怖い」――。

無意識のうちに、私たちは「みんながそうしている」ことに安心し、「自分はどう感じるか」を後回しにしてしまいます。

これもまた、恐怖による支配の一種だと思うのです。

周りと同じであることが“正しさ”になり、自分の感覚を信じることが“リスク”になる。

そんな風に社会が傾いてしまうと、心の自由がどんどん奪われていきます。

情報のミニマリズムが、心の自由を取り戻す鍵

ミニマルライフというと、「モノを減らす暮らし」を思い浮かべる人が多いかもしれません。

けれど本質は、「心のノイズを減らすこと」です。

私たちの心を占領しているのは、物理的なモノだけではなく、テレビやSNSから流れ込む“情報”も同じです。

誰かの意見、価値観、ニュース、成功談──それらは目には見えないけれど、私たちの思考を大きく左右しています。

だからこそ、情報とも適切な距離をとることが大切です。

・この情報は、自分にとって本当に必要なものか?
・ただ恐怖や不安を煽る内容ではないか?
・見聞きすることで、自分の心が乱れていないか?

一度立ち止まって、そう問いかけてみる。

モノを手放すように、情報も“選び取る”。

それだけで、心のスペースは驚くほど広がります。

「情報のミニマリズム」は、これからの時代に欠かせない感覚だと思います。なぜなら、情報の取捨選択こそが、心の自由を守る力だからです。

恐怖ではなく“感覚”を信じて、生き方を整える

コロナ禍を通して、私たちは多くの「見えない恐怖」と向き合いました。

でもその中で気づいたのは、恐怖に支配される生き方よりも、“自分の感覚を信じて選ぶ生き方”の方がずっと健やかだということ。

情報があふれる今の時代では、正しさや安全を求めるほど不安が増えてしまいます。

けれど、本当に大切なのは「何を信じるか」ではなく、「どう感じるか

他人の言葉ではなく、まずは自分の内側の声を丁寧に聞くこと。

恐怖ではなく、感覚を信じて生きる。

それが、ネオ終活の先にある“現代の生き方の整理”なのかもしれません。

モノも情報も、人間関係も、自分の心地よさを基準に整えていく。

そんな生き方こそ、これからの時代を自由に、しなやかに生き抜くための力になるのではないでしょうか。

改めて、自分の感覚に意識を向けてみてくださいね。

つむぎの自由手帖 – ゆるく、強く、生きる - にほんブログ村 人気ブログランキングでフォロー
タイトルとURLをコピーしました