こんにちは!つむぎです。
「本当は海外に住んでみたいけど、仕事もあるし、今さら無理かな…」
そんなふうに思ったことはありませんか?
私は25歳のとき、思い切ってオーストラリアのゴールドコーストへワーキングホリデーに行きました。
行く前の1年間は、ダブルワークで休みもほとんどなく、正直とても大変でした。でも、あのとき勇気を出して踏み出したことは、今でも人生の大きな財産になっています。
「30歳までにしか申請できない」ワーホリ制度。
もし今、「いつか行ってみたい」と思っているなら──
その“いつか”は、意外とすぐに過ぎてしまうかもしれません。
この記事では、私が実際に体験したワーホリ生活や、そこで得た気づきをお話しします。
また、31歳以上の方にとっても役立つ内容をお届けできたらと思います。
このブログが、あなたの人生をより豊かにするきっかけになれば幸いです。
学生時代に行けなかった「海外在住への憧れ」
高校も大学も英語科に通っていた私は、ずっと海外に住むことに憧れていました。でも、奨学金をもらいながら通っていた当時の私には、留学資金を用意する余裕はなく、夢のままで終わってしまいました。
社会人になっても、「いつか海外で暮らしてみたい」という気持ちは消えませんでした。
働くことに慣れてきた20代半ば、ふとした瞬間に「このまま夢を諦めてしまっていいのかな」と思うようになったのです。
そこで、ワーキングホリデー制度を調べてみることにしました。30歳までなら申請できるとわかり、「行くなら今しかない」と感じた私は、ワーホリに行くための資金づくりを始めました。
30歳までの“特別な切符”。ワーホリという選択肢
ワーキングホリデー(通称:ワーホリ)とは、日本と協定を結んでいる国で、休暇を楽しみながら働くこともできる特別なビザのことです。
観光ビザと違って、現地で就労しながら生活できるのが大きな特徴。
対象年齢は国によって異なりますが、ほとんどが「30歳まで(申請時点)」です。行ってみたい国があるなら、タイミングを逃さず調べてみるのがおすすめです。
私が選んだのはオーストラリアのゴールドコースト。「ハワイのような穏やかな雰囲気」に惹かれ、ここに行くことに決めました。
夢のために、休みなしで走り抜けた日々
ワーホリに行くと決めてからの1年間は、文字どおり働きづめの毎日でした。昼は本業、夜は副業。両方が休みの日はほとんどなく、睡眠時間は3~4時間ほどで働き続けました。
それでも「海外に住みたい」という想いが支えになり、なんとか乗り切ることができました。目標の貯金額を達成したときは、本当にうれしかったです。
そして出発の日。
空港で飛行機を見上げながら、「これから始まる異国での生活」に心躍らせた瞬間のことを、今でもよく覚えています。
海辺の街、ゴールドコーストでの暮らし
ゴールドコーストは、私にとって理想の街でした。
綺麗な海がすぐそばにあり、日本にはいないカラフルな鳥やカンガルーが普通にいる。大きなトカゲが二足歩行で道を渡っている時はさすがにびっくりしました(笑)
街中はトラム(路面電車)が走っており、どこに行くにも困らない。道幅も広いので歩きやすく、よく海沿いを散歩していました。
有名なリゾート地であるサーファーズパラダイズは、日中はサーフィンを楽しむ人々でにぎわい、夕方になると海辺のデッキでお酒を飲む——そんなゆったりとした時間が流れていました。
そんな環境の中、最初の3ヶ月は語学学校に通いながら、飲食店でウェイターとして働いていました。
対面で話す英語はなんとか聞き取れても、電話対応は本当に苦労しました。現地の人の早口の英語は、まるで別の言語のように聞こえて、何度も聞き返しては落ち込んだものです。
それでも、現地の人たちはとてもフレンドリーで、間違っても笑って受け止めてくれました。その優しさに何度も救われた気がします。
放課後は、砂浜に座ってただ海を眺めながら友人と語る時間が、何よりも贅沢でした。
「何もしない時間」が、心をこんなに満たしてくれるなんて、日本では想像もしなかったことです。
想像以上に高かった生活費。でも、それ以上に得たもの
行く前から覚悟はしていたものの、やはり頭を悩ませたのは物価の高さです。
シェアハウスの2人部屋でも、日本の一人暮らし以上の家賃。食費も2~3倍はかかりました。
当時の私は「節約」という言葉が頭になく、日本にいた頃と同じ化粧品やシャンプーを使いたくて、つい買ってしまうことも多く……
気づけばお金はどんどんなくなっていきました。
アルバイトの時給は現地の人の半分ほど。それでも、休みの日は、友人たちと隣町のブリスベンに観光に行ったり、遊園地で遊んだり、思いきり楽しむ時間も大切にしていました。
結果的に、予定していた1年間の滞在は、約半年で帰国することに。
でも、不思議と「もったいなかった」とは思いません。
それほど濃い半年間だったからです。
こんなに“ゆるくて”いいの?働き方の価値観に衝撃
海外に行って特に驚いたのは、働き方への考え方の違いでした。
日本では、長時間労働や24時間営業が当たり前になっていますが、オーストラリアでは、17時ごろにお店が閉まることも珍しくありません。
接客もかなりラフで、16時頃になると、商品を見ていても、早く出ていってくれと言わんばかりに片づけを始めます。
そして、17時~19時はハッピーアワーでアルコールが安いので、早々に仕事を切り上げた人々は、飲食店のデッキで飲み始めます。
「仕事はあくまで生活の一部」というスタンス。こんなに適当でも社会が回っていることになんだか拍子抜けしてしまいました。
同時に、じゃあなぜ日本はあんなに皆んな必死に働いているのだろうと思えてなりませんでした。
海外に住むなら、都会よりも“ちょうどいい田舎”がいい
滞在の最後の2週間は、メルボルンにも行きました。都会で刺激が多く、ファッションやカフェ文化も盛んな街。
でも、私はやっぱりゴールドコーストの方が好きでした。
海外の都会は、日本の都会とは違って、どこか“ちぐはぐ”な印象。
人が多く皆せかせかしているのに、公共交通機関は平気で遅れるし、接客は適当。ゴミも多く、ネズミも普通にいる。
時間を守らなかったり、接客が適当なのはゴールドコーストも同じだけど、田舎だと不思議とそれが気にならない。
街も人もゆったりしていて、「まあいっか」と思える空気があるからだと思います。
だから、日本は都会が便利だけど、海外は田舎に住むのがいいなと感じました。
ワーホリ後に始めたITの勉強が、人生を変えた
帰国してからは、「もっと自由に生きたい」「もっと選択肢を持ちたい」と強く思うようになりました。
海外で出会った人たちは、年齢に関係なく、自分の好きなことに挑戦し、楽しみながら生きていました。
その姿を見て、「いろんな生き方があっていいんだ」と心から思えたのです。
それから私は、場所に縛られず働けるように、パソコンやIT、マーケティングの勉強を始めました。
最初は苦手意識だらけでしたが、学べば学ぶほどできることが増えていき、世界が少しずつ広がっていく感覚がありました。
今思えば、ITが苦手だった頃は「検索力」が低かったように思います。
もちろん、ワーホリのときも自分で調べて申請などをしていたので、それなりにできていたつもりでした。でも、今の自分と比べると、情報を探す力も理解力もまるで違います。
今では、行政の手続きから日常の買い物まで、ほとんどのことがネットで完結します。もしあの頃のままだったら、こうした便利さをうまく活用できなかったかもしれません。
ITスキルを身につけたことで、知れること・できることが格段に増え、人生そのものの“自由度”がぐっと高まったと感じています。
31歳を過ぎても、海外で「暮らす体験」はできる
ワーホリは30歳までの制度ですが、「観光ビザ」でも3か月間は海外で暮らすように過ごすことができます。
働くことはできませんが、スーパーで買い物をしたり、カフェやバーの常連になったり、ローカルイベントに参加したり──
旅行では味わえない“日常の体験”ができます。
3か月でも、環境が変わると、自分の価値観は大きく変わるもの。
年齢に関係なく、「住むように旅をする」ことは、いつからでも始められます。
不安があっても大丈夫。“行った後悔”はきっとない
海外に行くか迷っている人へ伝えたいのは、「完璧な準備なんていらない」ということです。
お金も英語も不安で当たり前。でも、行けばきっと日本の暮らしでは得られない“何か”が見つかるはず。
たとえうまくいかなくても、その経験は確実に自分の糧になります。
ワーホリは“キャリアのブランク”ではなく、“人生の投資”。
海外での経験は、きっとあなたの生き方を広げてくれます。
行動した先にしか見えない景色がある
ワーホリは、英語を学ぶためだけの制度ではありません。自分の可能性を試したり、人生の価値観を見つめ直したりするきっかけにもなります。
海外に出て初めて、日本の良さや自分の強みを再確認できることもあります。そして、どんな経験も“自分の糧”になるということを、私は身をもって感じました。
もし今、心のどこかで「行ってみたい」と思っているなら──
その気持ちを、どうか大切にしてほしいです。
人生の節目に、思いきって海外に出てみる経験は、きっとあなたの未来を変えてくれるはず。
